日本サッカー名蹴会ってなに?どんな選手が所属しているの?
日本サッカー名蹴会は2010年9月27日に発足した素晴らしいサッカープレーヤーの集まりです。
サッカーの普及や発展に尽力を注ぎさまざまな活動をしています。
名蹴会は「元サッカー選手だから入りたい」といって入れるものではなく、厳しい条件があるのだとか。
日本サッカー名蹴会の条件とは?
日本サッカー名蹴会に入るには、条件があります。
・国際Aマッチ50試合以上出場
・JSL(Jリーグの前身)とJリーグ発足前の海外リーグでの出場試合数合計200試合以上
・Jリーグ(J1)と海外1部リーグ(FIFAランキング50位以内の国)での出場試合数合計400試合以上
この3つのうち、いずれかを満たしている人が名蹴会の対象となります。つまり名蹴会に所属している元サッカー選手は、長きにわたりサッカー界を引っぱってきた選手ということになります。
名蹴会のメンバーは?
現在、名蹴会の名誉会長は釜本邦茂さん。京都生まれの釜本さんは、早稲田大学2年で東京オリンピックに日本代表として出場。卒業後に西ドイツのザールブリュッケンにサッカー留学、メキシコオリンピック出場、ミュンヘン・ワールドカップ予選出場などさまざまな活躍をしています。引退後も指導者として功績を残しており、中田英寿、中村俊輔など誰もが知る名選手の成長をサポートしてきた人物です。
会長は金田喜稔さん。広島生まれで、高校時代は全国選手権大会ベスト4でした。中央大学2年生のときに日本代表となり、日本リーグ(Jリーグ前身)で139試合出場、国内タイトル7冠、スペインワールドカップ大会予選出場、国際Aマッチ58試合出場など輝かしい成績を残している方です。
副会長は都並敏史さん。東京生まれで読売クラブ入団。その後、ヴェルディ川崎の名ディフェンダーと呼ばれ、アビスパ福岡、ベルマーレ平塚でも活躍されました。子供たちへの指導方法も熱い思いがこもった方で、人気を集めています。
もう一人の副会長が井原正巳さん。滋賀生まれで小学生のころからサッカー一筋。中学高校大学と輝かしい成績を残し、1988年には日本代表に選出。90年代を代表するセンターバックといわれています。
他にも名蹴会にはさまざまな選手がいます。木村和司さんは広島出身で、高校時代全国選手権大会ベスト4ユース代表、明治大学2年のときに日本代表に選ばれ、日産自動車サッカー部に入部、ロサンゼルス五輪予選にも出場しました。会長の金田喜稔さんの高校の後輩です。
戸塚哲也さんは東京出身で幼いころから天才少年と呼ばれていました。1979年に読売クラブ(現ヴェルディ川崎)と契約、スペインにサッカー留学をし、日本代表にも選ばれました。都並敏史さんと同級生です。
名蹴会のメンバーはサッカー好きなら絶対に知っている名選手ばかりですね。
名蹴会のメンバーとサッカーができる?
名蹴会では、メンバーと一緒にサッカーができる「サッカークリニック」を開催しています。国内外で活躍したトップレベルの名プレイヤーと一緒にサッカーができるのは刺激になりますよね。
サッカークリニックは名蹴会のホームページから申し込むことができ、学校やチーム、企業・地域、公共団体など状況に合わせて柔軟に対応してくれます。
サッカークリニックの他にもトークショーなども行ってくれます。時事テーマや指導論などさまざまなテーマのトークショーに対応。
サッカークリニックもトークショーも子どもだけではなく、もちろん大人も参加するような集まりでも引き受けてくれます。
クリニックやトークショーの様子もホームページに掲載されているのでぜひチェックしてみてください。
名蹴会ではこのコロナ禍でも選手が一人ずつメッセージを送るなどさまざな活動をしているので注目してみてください。